戸籍の和暦・旧暦の日付を西暦に直す方法

戸籍の生年月日や死亡年月日は、「明治弐拾八年参月拾日」のように和暦で書かれています。明治の初めより前に生まれた人は旧暦の日付で、月日をそのまま西暦に当てはめると1か月ほどずれます。この記事では、和暦を西暦に直す方法と、戸籍の日付の読み方を説明します。

2026年11月2日公開

この記事の内容

  1. 元号と西暦の対応
  2. 元号が切り替わった日
  3. 明治5年までは旧暦
  4. 戸籍の数字の読み方(大字)
  5. 数え年と享年

元号と西暦の対応

明治以降の年は、元号の年数に次の数を足すと西暦になります。

元号西暦への直し方例
明治年数+1867明治28年 → 1895年
大正年数+1911大正5年 → 1916年
昭和年数+1925昭和30年 → 1955年
平成年数+1988平成2年 → 1990年
令和年数+2018令和5年 → 2023年

ただし、明治5年以前の旧暦の日付は、年末の日付が西暦では翌年になることがあるので、この足し算だけでは正しく直せません(後述)。

元号が切り替わった日

元号は年の途中で切り替わるので、切り替わった年は前の元号と次の元号の両方が使われています。

切り替わり新しい元号の始まり
慶応 → 明治慶応4年9月8日(旧暦)。その年の1月1日にさかのぼって明治元年とされました
明治 → 大正1912年7月30日(明治45年7月29日まで)
大正 → 昭和1926年12月25日(大正15年12月24日まで)
昭和 → 平成1989年1月8日(昭和64年1月7日まで)
平成 → 令和2019年5月1日(平成31年4月30日まで)

「昭和64年2月1日」のように、存在しない日付が書かれていたら、書き写しの誤りかもしれません。ほかの戸籍と見比べて確かめましょう。

明治5年までは旧暦

日本では、明治5年12月2日まで旧暦(太陰太陽暦)が使われていました。その翌日が明治6年1月1日(1873年1月1日)で、ここから今と同じ暦(太陽暦)になりました。そのため明治5年12月3日〜30日は存在しません。

旧暦の月日は、今の暦よりおよそ1か月前後遅れています。江戸時代の日付を西暦に直すには、旧暦と西暦の対照表が必要です。

戸籍などの書き方西暦
天保十一年三月廿九日1840年5月1日
天保十一年十二月十五日1841年1月7日(年が変わる)
文久二年正月元日1862年1月30日
嘉永七年閏七月朔日1854年8月24日
慶応三年十月十四日1867年11月9日

戸籍の数字の読み方(大字)

戸籍では、書き換えを防ぐために、数字を画数の多い字(大字)で書くことがあります。

戸籍の字意味例
壱1壱月 → 1月
弐2弐拾弐日 → 22日
参3参月 → 3月
拾10明治弐拾八年 → 明治28年
廿20廿九日 → 29日
卅30卅日 → 30日
元1(年)大正元年 → 大正1年(1912年)

数え年と享年

墓碑や過去帳に書かれた「享年」は、多くの場合数え年です。数え年は、生まれた年を1歳とし、正月を迎えるたびに1歳加える数え方です。旧暦の時代は、旧暦の正月で1歳加えました。今の「満年齢」より1〜2歳多くなります。

たとえば12月31日に生まれた人は、翌日の1月1日に数え年で2歳になります。戸籍の生年月日と死亡年月日から計算した満年齢が、墓碑の享年と合わなくても、数え年なら合うことがよくあります。照らし合わせるときの手がかりになります。

戸籍の日付をそのまま入力

無料の家系図アプリでは、「明治弐拾八年参月拾日」のように戸籍の書き方のまま入れると、西暦を自動で表示します。明治5年以前の旧暦や閏月にも対応し、亡くなった年齢(享年)も計算します。

家系図を作る

あわせて読む